「稚き夢」


――ここは、どこだろう。
貴方は山の中で道を見失い、木々の間を走って道を探す。時に虫に噛まれ、時に獣に遭い……そうして、今はこの鬱蒼とした森を歩いている。
奇妙な森だ。そう思ったかもしれない。強烈な草木の匂いが、本来なら落ち着くはずの森の香りが鼻腔を擽り……いや、鼻腔を突き刺し、逆に不安に駆られる。どれだけ目線を動かしても、草木は気味が悪いほどに青々と茂り、独りでに動くかのように道を塞ぐ。ふと顔を背ければ、さっきまで自分が通ってきた道すら、葉の影に埋もれてしまう。木の下、普通なら苔しか生えていなさそうな木陰でさえ草の緑に覆われ、ところどころ咲く白い花で輝いてさえ見えた。


どれほど進んだだろうか。それまで少ししか動いていなかった草木が、道を塞ぐように感じた草木が、急に自ら枝を動かし、道を作り出した。奇妙に思いながら木を眺めていると、道沿いの木々が語りかけるかのように片方の枝を――今自分が進んでいる方向の枝を――一斉に揺らした。貴方は導かれるように、その道を進んでいく。
そうして少し進むと、急に視界が開ける。いや、道ができてから、視界は全く閉じていなかった。木の葉の間から、ほんのわずかに光が漏れている気がしたのだ。
もしかしたら、帰り道が見つかったのかもしれない――そう思い、棒のように重い脚を持ち上げて駆け出していく。

果たしてそこには、思い描いた山道ではなく、森に囲まれた木の家があった。いや、家と言っていいのだろうか?見たこともないほど巨大な木造建築が、草原の真ん中に鎮座していた。
木造建築を見て、貴方は思い出すところがあるかもしれない。床を持ち上げる高い柱、そこから伸びる木の階段、下屋の上に張り巡らされた露台柵と、その内側に作られた二階、神明造に似た形の二階屋根……。社会科の教科書で見たような形だ。時代は確か……弥生時代。しかし屋根を見れば、下屋は杮葺になっているし、二階屋根も神明造らしいのは分厚い木板の棟だけで平は檜皮葺。少し詳しいなら、飛鳥時代辺りを思い起こすだろう。
形こそ飛鳥時代初期に改築された古代建築のようでありながら、しかし当時の建物とは思えない、新築と見紛うほど美しく磨かれた白茶の木材が、空から注ぐ光を反射していた。


そんなことに思い耽り、建物に気圧されて気が逸れたときだった。急に貴方の脚が地を離れ、体が宙へ浮かび上がる。うなじを何かに掴まれ、持ち上げられたのだ。
驚いて背中を確認すれば、そこには滑らかな曲線を描いて黒光りする触手のようなものがあった。しかし、首の感触は確かに人の手のそれだ。いや、そうだろうか?ゴムのような強い摩擦が首の皮膚を引き摺る。人の手に似た形の、人ならざる存在の手。正体を見ようと目で辿っていけば、それは途中で半透明な紫色に変わり、長く長く伸びて……木造建築の階段の下、木舞台とでも呼ぶべき巨大な縁側に座る人影に繋がっていた。
それを確認したかしていないか。物凄い勢いで体が引っ張られ、人影の方へと引き寄せられていく。驚いて暴れようにも、それ以上に首がもげそうで、碌に抵抗もできないまま人影の前にぶら下げられてしまった。

そこにいたのは少女だった。
年齢は14~15……いや、17~18でもこんな子はいるだろうか。
濡れたように輝く黒い髪。針金細工のように精巧な銀の髪飾りには、猪目に翼と二重螺旋とでも呼ぶべき模様が、透けた紫の硝子で描かれ、それを金線が縁取る。
胡粉のように白く、だがどこか血色を感じさせる顔肌。星空のような模様が明滅し、瞳と瞳孔がもやもやと蠢く紫の瞳。その中央には、揺らめくことのない昏い模様が浮かんでいる。
白い顔とは対照的に、首から下は真っ黒で、木の白茶と森の緑を反射してつやつやと輝いている。
黒い肢体を包むのは、紫根染めに似た紫の袴の巫女装束。白衣は黒灰で地味だが、紫と青のグラデーションが効いた襟が、光を反射して星空のように煌めいて存在を主張する。そして、その衣装も身体と同様、てらてらと艶めいてその形を皴一本までくっきり浮かび上がらせる。
そして、何より目を引くのは、その衣装と髪の先が紫色に染まり、半ば透けて朝露のように眩く太陽を反射していることだろう。

貴方はこのような少女を見て、どう感じるだろうか。もしかしたら、趣味が悪い、気味が悪い、怖いなどと感じるかもしれない。
だが、思考など知る由ないとでも言うかの如く、貴方の心はそうは思わなかった。脳内を染める言葉はただ一つ、「美しい」。下手をすれば恋焦がれてしまうほどの美しさが脳を支配し、迷子になっている現状も、彼女に吊るされている状況も全て忘れて、思わず彼女に見惚れてしまった。


「あー……貴方、どこから来たの?盗人?」
女とも男ともつかない中性的な、それでいて心に染み入るような声が、彼女の口から発せられた。
その言葉にはっと気が付き、わたわたと手足をバタつかせ、頭を振って否定する。
「……盗人じゃないなら何?稚秉が目当て?残念だけど、あの子は今いないわよ」
呆れたような声を出して溜息をついた彼女が顔をぐいっと近付けた。いや、吊るされている自分が近付けられたのかもしれない。熟れゆく果実に花を添えたような、人らしからぬ甘い香りが思考をゆるゆると解かしていく。彼女と目が合う。星空のような輝きから、こちらの脳裏を見透かすような双眸から、無意識に脳が輝きを錯覚させたような紫の瞳から、目を離せずにぼんやりと眺めてしまう。

……どれほどそうしていたのだろう。傍から見れば一瞬かもしれないし、小一時間だったかもしれない。そんな長いような短いような時間は、自分の体が不意に重力を覚えて終わりを告げた。彼女が手を離したのだ。ただの人間が重力に抗えるはずはなく、彼女の隣の板の間に叩き付けられる。
いてて、とぶつけた場所をさすって、ふと顔は痛くなかったことに気付く。下を見れば、そこにあったのは紫色に艶めく布地。驚いて上に振り向けば、太陽を遮り、彼女がこちらを覗き込んでいた。膝枕をされていたのだ。そう気付くと、不意に頬に熱を感じる。だがしかし、起き上がろうという気持ちは、額に優しく添えられた黒く艶めく手によって霧散してしまった。
突然の出来事で呆気にとられる貴方を見て、ようやく彼女が笑みを零す。
「ふふ、そんなに驚く?まあいいや。面白いし、しばらくそうしていてよ」
彼女の服からするのだろうか。あの甘い香りに包まれ、今までの疲れがどっと押し寄せ、反抗する気も失って髪を弄ばれるままになってしまった。


そうしてしばらく経った後。それまでずっと貴方を見ていた彼女がふと森を見て、再び口を開いた。
「はぁ、暇ね。一人で暇なのは慣れっこだけど、人がいて暇なのはちょっと耐えられない」
「ねえ貴方?何かお話をしてよ。面白くなくてもいいから」

そう言われ、口をぱくぱくと動かす。しかし、何故だろうか。全く声は出なかった。
「あー……そういう。まあいいか……あー、また稚秉になんか言われるなぁ……」
少し上体を仰け反らせ、心底めんどくさそうに彼女は言う。
「ねえ、貴方疲れてる?そのままそこで寝ちゃっていいわよ」
「その代わり。あの子が……稚秉が帰ってくるまで、読み聞かせでも聞いて頂戴。耐えられないのよ、無音が」

貴方はどう返事をしただろう。もしかしたら何か言おうとしたかもしれないし、ただぼんやりとしていたかもしれない。しかし返事を問う間もなく、彼女の右腕が遥か階上の建物内へと伸び、一冊の本を持ってきた。
「これはね、あの子と仲良かったヒトが書いていた本。表紙には題も作者もなく、出版されることがなかった、幻の妖怪録鑑」
「確かこのあたりに……あった。あの子の項目もあるのよ」
「っと、最初にあの子の頁を読んでもわからないわね。最初にこっちの方も読んであげましょう」

そういいながら、嬉しそうに本を繰る。そんな所作の一つ一つすら、黒い肌に浮かぶ白い艶が美しく彩っていた。
「それじゃ、始めるわ」
そう言って軽く息を吸って、彼女が語り始めた。




"第弐章 第参項 | 魔法生物研究総評"

 我々の世界は物でできている。触れられたり触れられなかったりと様々だが、石にしろ、鋼にしろ、空気にしろ、全て本質は物だ。物は物の法のみで動き、決して他の法に律されることはない。しかし、我々の世界には、物の法則が当てはまらない事柄も存在する。俗に妖怪や怪異などと呼ばれるものがそれに当たる。これらを魔と呼称する。物が物の法で動くように、魔は魔の法にのみ従う。これを操ることを、我々は魔法や魔術と呼んでいる。
 ここまでは、我々にとっては教本の暗唱にも等しい内容だろう。ここからは、新たに発見された魔の環境およびその生態系について論ずる。


――この辺はめんどくさいから中略。

 魔法環境はそこに暮らす生物と大きく関連している。本書では、これらを「魔法生物」と総称する。
 魔法生物の姿は不明である。これは魔法環境が目に見えないことと同一で、感じることしかできない。これが霊感と呼ばれるものだ。よって、魔法生物については、それが群集なのか個体なのか、大きいのか小さいのかという議論が不能である。

 彼らの大きさを語るのはその縄張りだ。これはその縄張りの主の魔力の強さと関係する。この縄張りは、形成過程が詳細に観測された事例が報告されており、魔法生物の成長に伴って、それまで体内に納まっていた力が膨張し、周囲の別の縄張りを押しやることで形成されていく。この泡のような構造が、魔法環境と物法環境とを隔てる結界であり、相互の干渉を妨げている障壁である。ただし、魔力が壁の隙間から滲み出たり、特大の魔力が障壁を突き破ったりなどして、物法世界に影響を及ぼすことがある。これが世間の妖怪譚の主因と考えられている。

 また、魔法環境の泡を突き破る手段はもう一つあり、それが神隠しである。神隠しは魔法生物の食事であると考えられている。魔法生物に連れ去られる生物は、決まって強大な力を秘めている。若く幼い子供が連れ去られることが多いのは、その感情が魔力に干渉しやすいからだろう。
 神隠しで連れ去られた生物がどうなるかについては未だ不明である。しかし、多大な魔力が漂う環境に鳥や蛙などの小動物を押し込む非道な実験が複数報告されており、それらによれば、大抵の生物はその体が崩壊して消滅すると言われている。また、蘭霊学連合が「エテル体」と呼ぶ精神や魂についても、同様に崩壊し、強いエネルギーを発した、という報告もある。この結果については、その非道性と共に真偽が問われているが、これが違かろうと正しかろうと、神隠しに遭った者が悉く行方不明になっていることには留意すべきだろう。


――後はいいかな。ココの話なんかしてもしょうがないし。次行くね。


"第肆章 第玖拾捌項 | 谷菟彩稚秉"

 「谷菟彩稚秉」という名前は飛鳥時代の文献にも見られる。文献を総合して意訳すれば、「森で出会うことのある少女。水色の髪と白と青の服、夜空のような瞳を持つ少女であり、ありとあらゆる知識を持つ」となる。同様の記述は江戸時代中期までの様々な文献で見られるが、一部では「その知識を授けるかは気分次第」とも書かれている。実際彼女は神出鬼没であり、寝起きも気分次第だ。
 彼女の姿は縄文時代の画からも確認でき、それによれば、ある種の巫女として信仰対象にされていたようだ。実際、彼女は超常的な力を操る。私の前で見せたものだけでも、花が終わりかけた竜胆を再び咲かせ、手から水を吹き出し、凶作一歩手前の田畑に雨を降らせ、踏まれて倒れ腐った菫を生き返らせ、枯れ梅に一晩の花を咲かせ……と、枚挙に暇がない。正当な求めには応える彼女の性質からすれば、ある種の植物神と言えるだろうか。信仰されるのも当然といえよう。

 彼女は温厚で、私と初めて会った日も、何を要求するでもなく森の出口まで無事送ってくれた。「遊びの最中で滑落した」という平安時代の貴族の日記によれば、著者を庇って片腕を失う大怪我をしたとしても、まず最初に著者に大丈夫かと聞いて来ていたようだ。腕を失うともなれば、温厚な怪異ですら凶暴化し、大暴れしかねない一大事で、それでも著者を庇い慮るとは大したものである。
 この文章を書いているときにも、急に現れては雑談をして去る……というようなことが何度もあった。この本についても気に入ってくれているようで、来るたびに頭から読み、内容について語り合い、間違いがあれば筆を奪って教えてくれる。彼女について以外の記述も彼女の情報で修正や追記をしたものがいくつもある。そういった点でも、彼女は安全な側と言えるだろう。

 ただし、必ずしも安全な存在ではない。彼女にとって最も大事なものは「自分が大切に思う相手」……なのだろう。そういった存在――大抵の資料では著者にあたる――が傷つけられたとき、またそういった存在でない者に不敬を働かれたとき、彼女は唯一凶暴化する。袖の中から刀を取り出した、口を掴んで水を噴射して溺れさせた、蔓が伸びて来て首を吊った、野党が全身から血を噴き出した、編まれた髪が伸びて野党を吸収した……などが文献に見られる主な攻撃方法のようだ。野党に襲われた貴族によれば、刀を素手で握りそのまま潰し曲げてしまうなど、膂力についても人のそれを大きく外れている。
 また、現在も確認できる痕跡も見られ、とある地方では「室町時代、平民だった先祖の家を襲った野武士を追い回し、森の中で最も大きな木に埋めてしまった」と伝わり、実際その森の南西には人の顔が浮かんだような樹皮の模様と手足に似た枝を持つ木が集まっている場所がある。そして、その場所を調べていたら、背後に彼女本人が現れ、声をかけられた。彼女に隠し事は無用なので話したが、噂話と一蹴されてしまった。その後、彼女に連れられて、濃い桃色の花が咲き乱れる一角を通り、森の出口から無事宿に送ってもらった。

 総評するが、彼女は基本的な礼儀を忘れなければ我々に利が多く、敵対しないべき存在である。ただし、敵対すれば取り返しのつかない犠牲を生む存在でもある。よって、彼女の排除や収容に躍起になっている対怪本部を始めとする諸団体には、今一度考え直すよう警告を行う。


 また、彼女にまつわる日記や壁画などには、非常に少ないが「同様の姿を持った少女」が現れる。同様に夜空のような瞳を持ち、黒と紫の服に黒い髪が特徴であるらしい。彼女に問うと、少し嬉しそうな声で「探せば見つかるよ」と助言をもらった。こちらについては現在調査中だ。




どこまで聞いていたのだろう。彼女の声と甘い香りに包まれ、いつの間にか意識が微睡の底に沈んでいた。そして、目を覚ますと、聞き慣れたようで聞いたことのない声が足の方から聞こえてきた。
「あー、起きました?すみません、梓紗が失礼を。」
梓紗、とは先程の――今も絶賛膝枕してくれている最中の――少女のことだろうか。未だ重い頭を半ば彼女の袴に擦りつけるように、首を横に振って大丈夫の意を伝える。


木床を歩き砂を踏むような音がして顔を縁側の外に向けると、梓紗と呼ばれた少女によく似た姿の、しかし全く色の異なる少女が、にこやかに微笑みかけてきていた。
水底の白砂のような淡い水色の髪。陶器にも似た白い髪飾りには、梓紗と全く同じ猪目に翼と二重螺旋の、しかし髪は透けて見えない模様が紫の硝子で刻まれ、黄金の線で縁取られている。
胡粉のような、梓紗よりさらに白く澄んだ肌。星空のように輝き、尾長や翡翠のような美しい空色と水色に揺らめく瞳。中央の瞳孔には、赤い模様が浮かんでいる。
梓紗と同じように黒く輝く首から下の肌を包むのは、白い白衣と青い袴の巫女装束。梓紗と異なり、その質感は絹のように滑らかで、ほんのりと弱い光沢が清廉な衣装を仄白く強調する。
そして、袖の先や髪の先端は梓紗と同様に溶け、澄んだ川面のように薄水色に歪んだ風景を透過していた。

梓紗を見たときと同じように、目を離せないほどの美しさが脳に焼き付く。梓紗にこうして触れ、見慣れていなければ、きっと我を忘れて見惚れてしまったことだろう。いや、もしかしたら見惚れて束の間目が離せなかったかもしれない。
その反応を見て、少女は梓紗と同じように笑みを零す。
「だいぶ慣れてるみたいですね?まあ、アズの香に直に触れ続ければそうもなりますか」
「人聞きの悪い。私は緊張を解いてあげただけ」
「同じことでしょう?まったく」
問い詰めるようで呆れたような声と、少し楽しそうな声が頭上を飛び交う。その後もやいのやいのと言っているのを眺めていると、不意に梓紗の手が頭を撫で、耳に触れ、体を飛び上がらせて驚いた。そんな様子を嬉しそうに眺めながら、梓紗が続ける。
「で、この子。どうする?」
「迷い子でしょう?聞くまでもなく、帰すしかありません」
「お堅いわねぇ。神隠ししちゃえばいいのに」
「冗談でもしませんよ。面白くないですし」
そう言うと、碧い少女は立ち上がった。
「アズ。礼はしますから、この子を帰してくるまでもう少し番を頼みます」
「はーいはい。見てるから行ってらっしゃい、稚秉」
その声と共に頭と背中の下に梓紗の手が優しく添えられ、されるがままに起き上がる。自分を包んでいた甘い香りが晴れ、草と森の香りが感覚を現実に引き戻した。
「すみません、梓紗はいつもこうで。迷い子は帰すと決めているのですが、決まって私が連れ帰るんです」
そう言って、彼女は手を差し伸べる。つやつやとした手から、梓紗とは違う花のような、それでいて同じように甘い香りが漂い、再び意識が酩酊へと誘われる。蕩けた視界に映る彼女の黒い手は、白く清楚な雰囲気の中でいやに煽情的に思えた。
「ここは迷いの名所なんです。私は道を知っていますが、知らなければ絶対に帰れません。だから、絶対に手を離さないでくださいね」
目の前で香る彼女の手に、自分の利き手で蓋をする。つるつるとして、ほんの少しひんやりとした柔らかな触感が、このまま手を離したくないという欲求を脳裏に燻らせる。
そのまま連れられ、彼女の花香を追いかける。そうして、深い緑の中へと――


――

――――――


は、と目を覚ます。ここは……いつもの寝室だ。夢を見ていたのだろうか?二人の、美しい少女の夢。あんな記憶は自分にはない。これが文字通り夢に見るほど美しいものということだろうか。
いや、本当に記憶はないのだろうか。あの少年の服は、私が幼い頃に着ていた……
そこまで考えて、脳裏に焼き付き鼻腔に垂れる甘い香りを、溜息と共に振り払う。
今日も変わらぬ日常の一日だ。いつものように寝具から身を起こす。そのまま、いつものように寝起きの支度を始めるのだった。


窓の外、遥か離れた場所。
「相変わらず好きですねぇ、カマかけた子を見に行くの」
「折角マークしたのに名前聞きそびれたんだもの。離れて見るぐらい許されるでしょう」
「ああそうだ。今度聞きに行って、ついでに一口食べちゃおうかしら」

「やめてください、端ない……」
「相変わらずお堅いわねぇ」
「貴方が緩すぎなんです」
夢と同じ碧と紫の少女がそこに居ることに、貴方はいつか気付けるだろうか。